【能登半島地震】奥能登で被災した当事者と、石川県でIT支援を続けるサイボウズ社員が伝える、現地の声

2024年1月1日に発生した能登半島地震。 奥能登在住のサイボウズフェロー野水克也は、現地で被災しました。
一方、震災や水害など自然災害が発災したとき、ITで支援しているサイボウズ災害支援チームの柴田哲史は、発災直後から災害対策本部に入りました。
発災直後の被災地はどんな状況だったのか? 災害支援の取り組みは? サイボウズ代表取締役の青野慶久が聞きました。
本記事は、発災直後の状況、災害支援の取り組みや課題を、当事者に伝えてもらうことで、社員一人ひとりが自分でできることを考えられるよう、2024年1月17日にオンラインで実施した全社向け報告会をもとに作成しました。
(※掲載情報はすべて2024年1月17日段階のものです)
奥能登で被災したサイボウズ社員
青野
今日は年始に発生した能登半島地震について、野水さんと柴田さんにお話を伺います。野水さんは被災され、柴田さんは現地の災害対策本部にいらっしゃいます。まずは発災から現在までの状況を教えてください。
野水 克也(のみず・かつや)。サイボウズフェロー。公益財団法人ほくりくみらい基金理事。サイボウズのエバンジェリストとして各地で講演、先端案件を支援。副業でビデオグラファー、DIYで奥能登の空き家リノベと自伐林業に挑戦中だったが、能登半島地震で全壊し金沢に避難。現在は復興支援活動に従事中
野水
元旦は能登の自宅の古民家にいました。地震のときは、1秒間に2m水平に往復するのが50秒間くらい続いた感じです。部屋中のものが落ちてきて、障子が外れ、窓ガラスが割れて、そのうち壁や天井が崩れてきて。
野水
揺れが収まったあとに外に出たら近隣の家屋が倒壊したり、鉄筋コンクリート造りの病院の1階がつぶれていたり。当然水や電気も止まっていました。金沢につながる道路が山崩れと電柱の倒壊で完全にふさがっていて、反対方向の輪島に向かう道路も通れなくなっていたので、「あ、これは完全に陸の孤島になった」と思いました。
野水
倒壊した建物のなかに人が残っていないかみんなで探しながら避難所に行って、発電機で電気を確保してぎりぎりの電力で暮らしつつ、石油スト―ブを持ち寄ってみんなで寝ていました。 弟の迎えで金沢に来たあとは、サイボウズの災害支援チームとして、また地元のコミュニティ財団・ほくりくみらい基金の理事として、復興支援活動に
情報元サイト:「サイボウズ式」
[ オリジナルサイトで見る ]

関連記事一覧

  • コメント ( 0 )

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。